全国良寛会常任理事・松本市壽さんが、南無の会機関誌『ナーム』に掲載中の「良寛のロハス考」を転載させていただいています。今回はその第8回「糞掃衣はどこへ」です。(2008年8月号より)

教室での質問ではあったが即答もできず、後で詳しく便箋に認め、質問者に郵送した。こういうところに疑問をもつ人は少なくないと思う。誌上を借りて考察しておきたい。
現在では、トイレットペーパーがあり、水洗便所がある。最近のはウォッシュレット式で、水圧のかかったノズル(噴出口)が出てきて汚れを洗いすすぐ装置が普及している。ペーパーは水濡れを局部的に拭き取るだけでいいことになった。
良寛の時代には、紙は貴重品であって、とうてい尻を拭くなどもったいなくて出来はしなかった。それどころか良寛は習字用の和紙にも不自由し、数十枚の紙が真黒になるまで練習した。それを日にあててまた乾かし、黒光りする紙に再三にわたって重ねて書いたのである。
それくらい紙を大切にしていた。私の記憶では私たちも、六十年前ごろの戦中と戦後しばらくは、新聞や古雑誌の『家の光』など手に入る紙を所定の大きさに切り、柔らかくもみほぐして便所で用いた。やがてちり紙やロール紙が出回り、今はそれが主流になった。
紙を使っでいなかったとすると、良寛はポロ布で拭いていたのではなかろうか。もちろん布切れも貴重ではある。しかし、くたびれた布は最後は引き裂いて尻拭きにするしかない。紙とはちがい、布は水濡れに強いため、使用後は水で洗えば再度使用できる。
良寛はいつでも貧しかったから、ポロの衣しか身につけていなかった。それを漢詩にも詠んでいる。これを訳出してみよう。
──俗塵に染まらない自由な私は、俗人たちの中に暮らしている。だからポロを着る貧しい生活、これが生涯なのだ。食料は道ばたで托鉢し、家は雑草にうずもれたまま。
──月に向かえば秋の長い夜を歌って過ごし、雲をながめては庵に帰るのを忘れる。いったん円通寺を出てからは、誤ってこんなのろまな馬になってしまったよ、と。
漢詩だけでなく、和歌もある。
秋もやや 夜寒むになりぬ わが門に
つづれさせてふ 虫の声する
秋もしだいに夜が寒くなると、庵のまわりで一斉にコオロギの声。その鳴声は「つづれさせ」と、着物のほころびを繕い縫いしなさいと催促しているかのように聞こえる。
良寛が着たボロ衣も、やがては切り裂いて雑巾や糞掃に使用されたであろう。ところで禅宗では、この糞掃衣を格別に尊重するという伝統がある。
道元の『正法眼蔵』伝衣の章に、法を伝える証拠として身につけた袈裟を師から弟子に与えるのを伝衣というとある。その「袈裟」の衣こそ、糞掃衣によって作られた尊い法衣なのであるという。歴代の祖師たちはこの法衣すなわち衣法を正伝して生涯護持し法を伝えたとあり、以下この糞掃衣の精神を詳しくのべている。
糞掃衣にもいろいろある。一は牛が噛みくだいた衣、二はネズミの噛んだ衣、三は火に焼けた衣、四は経血に汚れた衣、五は産婦の衣、六は神廟に用いられた衣、七は墓場の死者の衣、八は人の願いがこめられた布、九は国王の賜物、十は道端に捨てられた布、と十種の糞掃衣を列挙する。いわば何でもあり、廃棄された布切れだ。
もともと袈裟衣は、このように人の打ち捨ててかえりみない布切れを拾い集めて洗滌し、自分で縫い合わせて作られるべき衣なのであった。最初から金絲を織り込んだ布であってはならないのである。
あふれるゴミを処分するのに困っている現代から見れば、まことにロハスの原則にかなっている。仏法こそロハス的なのである。
道元のこのような聖典をもつ曹洞宗でも、良寛の時代はそこに秘められた精神がすっかり忘れられてしまっていた。良寛に糞掃衣の精神に帰るべきことを教えたのは、円通寺の師国仙和尚ではなく、むしろ越後紫雲寺村の観音院の宗龍であった。

これが契機となって良寛は、寺の住職とならず托鉢の乞食行の僧として生きる覚悟を決めたのである。わずかに残っている史料から推測するに、良寛は宗龍和尚と問答した跡がある。これを要約すると良寛は、寺の住職として生きることが是か非かと問うた。
宗龍は、寺に入るのも伝法のひとつの方便ではないかと折衷案をのべたが、良寛はそれを否定した。そこで宗龍は「それならば、お前はどう生きるつもりなのだ」と問い返す。良寛は「今は何ともはっきりとは申せないが」と口ごもる。
思案の挙句に、良寛が帰郷して選んだ僧の生きかたは、寺に入らず托鉢の乞食行のみで行くという厳しい道であった。良寛にしてみれば、町名主という地位を捨てて出家した自分が、宗門というもっと大きな僧団の組織の家に参入することになる。家を出てこその出家なのに、それは数倍も大きな家に入ることになるではないか、とこれを否定して生きたのである。
良寛の尻を何で拭いたかという質問から、話は思わぬところまで大きくなった。尻を布で拭いても紙で拭いても、時代の変化が反映されている。ついつい、道元の提唱した糞掃衣の話に波及してしまった。
トイレが水洗化したことで、建築の高層化が極度に進み、川崎市の東横線武蔵小杉の駅周辺は六十階以上の高層マンションが林立するまでになった。中国の上海でも、今やびっくりするほどの高層化が進んでいる。
建築の高層化は、グローバル化のシンボルである。作家の橋本治は、温暖化を止めるため十階以上の高層ビルを今すぐ破壊せよと提案した。高エネルギー維持が必要となり、ますます温暖化するのだと。私も大賛成である。



托鉢で歩いても喜捨に恵まれないとは、回る側のつごうから見た言い種にすぎない。僧は里の家々の安寧を見守るためパトロールしているのであり、これは僧たる者の自発的な布施行。それに感謝する意味の報酬として「喜捨」が与えられ、僧が地域社会に生存することを許される。
まず「請受食文」では「食事をもらい受けることは